1962-03-09 第40回国会 衆議院 外務委員会 第10号
「千九百四十五年九月二日午前九時四分日本東京灣上ニ於テ署名ス」ということで、重光葵が署名しておる。そうして、当時の「日本帝國大本營ノ命ニ依り且其ノ名ニ於テ」梅津美治郎大将が署名しておることは御記憶の通りです。重光さんは今おりませんけれども、これはよく知っておる。
「千九百四十五年九月二日午前九時四分日本東京灣上ニ於テ署名ス」ということで、重光葵が署名しておる。そうして、当時の「日本帝國大本營ノ命ニ依り且其ノ名ニ於テ」梅津美治郎大将が署名しておることは御記憶の通りです。重光さんは今おりませんけれども、これはよく知っておる。
なおもう一言附加えたいのは、さしあたつてまぐろ漁業が出かけておるのでありますが、油がないために、東京灣にもすでに十數艘が待機のまま油の補充を待つておるのであります。また各府縣のまぐろ漁業者は、十分の一も沖に出ていない。それはみな油のためである。大體私の調べによりますると、四十トン要るところへ油を十トンぐらいしか渡さない。十トンの油では沖へ出られないから、四十トンそろうまで待つておる。
こういう問題につきましても東京灣、伊勢灣、諏訪湖その他の典型的なところをとりまして、そういう調査もやつてまいりました。これも水産研究會の仕事としてやつておるのであります。要するに研究會の經費をどの方面にどういうふうに使うかということにつきましては、なお各方面の御意見を十分に参酌いたしましてやつてまいりたい、こういうふうに考えるのであります。
そこで東京灣気船の、今は東海汽船と申しておりますが、東海汽船の菊丸という船が、これは七百六十トンの立派な純客船でございますが、これが帰還輸送をして帰つて参りまして、差当り東海汽船といたしましても確たる計画がなかつたようでありますから、直ちにこれを同社の間に斡旋いたしまして、この七百六十トンの菊丸をこの航路に入れることに手配いたしました。
○井谷委員 やはりこれに關連してでありますが、東京灣沿岸の運送業者、つまり船から物をおろして運ぶもの、これが戰時中マル通に統制されてしまつた。最近この問題で起きておるのでありますが、あれは特殊な仕事でありまして、夜中でも荷物をおろさなければいけない。そういう場合に自動車を頼みますと、朝出てくる。途中でそれがえんこして來ない。
○柳澤説明員 小名浜港は先ほどもお話の通りに、東京灣から鹽釜に至る間の大きい船がはいる避難港といたしまして最適な場所と思われるのであります。從いまして現在におきましても百七十八萬圓の工費をもちまして、まず漁港的の小さい方の船溜の計畫をやつておるわけであります。今後の工事といたしましては、できるならば大きい防波堤の方をやつていきたいというふうに考えております。